■ 原村和は強いのか? 弱いのか?
原村和の評価は難しい。
「ネット麻雀界で伝説とまで呼ばれた」「運営が用意したプログラムとか言われてる」「のどっちにミスはない」「のどっちなら変なプロよりよっぽど強い」などと評されていることから、能力なしで比較した場合、最強クラスのデジタル打ちだと思うのだが、他家の打ち筋(能力)に対応しないことから評判が悪い。
「能力分析」からの「対応する打ち回し」が『咲-saki-』そのものの面白さに組み込まれ、赤土晴絵、船久保浩子など参謀格が分析した上での闘牌が沢山描かれているため、その傾向に拍車がかかっている現状がある。
だが、実際は、思われている以上に強いのでは……と感じている。
というのも、本来はのどっちこそが王道。
対応すべきはのどっちではないのだ。のどっちを追い落とすために、それ以外プレイヤーが「能力というチート」を使わざるをえないのだから。
というのを以下に。
■ デジタルは強いのか? 弱いのか?
卓上ゲームの世界では、昔から人間とコンピュータの戦いが行われている。
最近は将棋の電王戦などが有名だが、かつてはオセロやチェスなどでも、類似のイベントが盛り上がった。
運が介在するゲームでも、人間がかなわない高みに辿り着いているものもある。
例えば、世界四大ゲームの一つ、
バックギャモン。
二つのサイコロを振って出目を進めるゲームだが、2000年台の序盤ごろから人間よりもソフトの方が強くなりはじめ、現在はプロのほぼ全員がコンピュータが指す手をお手本にしているほど。エラーレートという概念があり、プレイヤーの指した手がコンピューターの指した手とどれくらい違うかが客観的にわかる。(
GNU Backgammonというフリーソフトですら、世界チャンピオンよりも強く、歴代最強レベル。ルール自体は単純ですぐに覚えられるし、面白いゲームなので興味のある方は)
麻雀に話を戻すと、例えば、雀虐というイカサマ無しの四人打ち脱衣麻雀があるんだけれど、このCPUがそこそこ強い。テンパイ即リー&こちらがリーチをかけるとベタオリというわかりやすいルーチンなのだが、それでも勝つのがなかなかに難しいのだ。このように、中途半端な強さのCPUでもやっかい。これがもしネット麻雀界最強が相手だったら(例えば天鳳で天鳳位3人を相手にすることになったら……)。正直、心折れるかも……と思えるレベル。
そう考えると、原村和が自身のスタイルを貫くことには何の問題もない。
元からデジタル最強クラス(非能力者内での最強クラス)の打ち手なのだ。
勝つためには、その実力をそのまま出すことこそが、もっとも期待値が高い。
■ 能力者と原村和の比較
いやいや、『咲-saki-』世界では話は別で、生半可なデジタル打ちは能力者たちのご飯──と思う人もいるだろう。だが、本当にそうなのだろうか。
対能力者戦という観点から、対戦結果を踏まえて考えてみる。
長野県地区大会決勝時点での回想だが、片岡優希は平均して原村和に勝てていないようだ。
その片岡優希は相当に強い。エース級が揃う先鋒戦で、神代小蒔、小瀬川白望、上重漫と相対してほぼ原点で返ってきている。それどころか、神代小蒔の二度寝がなければ、マヨイガ+当たり牌察知能力持ちの小瀬川白望(当たり牌察知能力を持つため、魔物未満の能力者の中ではトップクラスに強い)に勝っていた。
原村和自身の成績を見ても、長野県個人戦は、東横桃子、井上純などの能力者よりも上。
より能力者密度の高い全国編の個人戦でどうなるかは不明だが、個人戦の実績では、他の能力者たちよりもトータルで高い点数を稼いでいる。
つまるところ、能力発動には何かしらの条件や制限がある。(一部を除く)
あの満月を味方につけた天江衣ですら、能力の発動に波があった。
毎局能力を使えるわけではない以上、すべての局で安定して強いのどっちが、残りの局でミスのない打ち筋を見せて平均以上の点を獲得し、結果能力者よりもトータルで稼ぐのも当然と言える。
(ただしこれには少々難しい部分があって、姉帯豊音の「先負」などものすごく相性の悪い能力も存在する。デジタルで打つ以上、のどっちが絶対に勝てない相手もそれなりにいるだろう。余談になるが、準決勝副将戦などで、その「ものすごく相性の悪い相手」が出てほしいと思っていたり。準決勝では意地を貫いてボロボロにされ、決勝でも再対戦することになった場合、ブレるのか、それともブレないのか……)
■ 原村和にまつわる興味深い現象
薄墨初美が原村和の和了を察知できていない。
また、臼沢塞が持っているモノクル(他家の能力発動に対応して曇る)も曇っていない。
以上の2例から、デジタル化および、その和了りは通常の能力者がもつ感知・察知能力をすり抜ける可能性があるのではないかと考えている。
仮定に仮定を重ねることになるが、そう考えると原村和は能力者に対して、強力なアドバンテージを持つことになるかもしれない。
『咲-saki-』では、能力者たちが他人の気配や支配力の強弱から、場の流れを読んでいる描写が散見される。ところが、原村和はデジタル打ちで淡々と手を進めるため、力の強弱が生まれない。
それゆえに、支配力の強弱を察知して戦う各種能力者の鼻が効かない可能性がある。
対能力者(察知スキル所有者)戦限定になるが、鹿倉胡桃のような気配消しを常備できていることになる。
とは言え、これについては検証が必要だろう。
強力な当たり牌察知能力を持つ、小瀬川白望、愛宕洋榎あたりと戦ってどうなるか。
もし、その上で彼女らから直撃が可能なら、原村和の「デジタル化」は上位能力者が持つ察知能力をすり抜けて和了れる、極めて稀有で強力なスキルだと言える。
■ まとめ
原村和は他家の能力に対応しないが、他の能力者たちも原村和の気配を察知できない。
デジタルと能力との間に空いた奇妙な次元のズレが、のどっちを通して描かれていることなのかもしれない。(個人的には、もう一人くらいデジタル最強が出てきて、のどっち並に自分を貫き通してそれでも勝つキャラがいれば面白いかもと思ったり)
ともあれ、述べてきたように、能力を使わずとも全局で最高効率(これは打撃だけでなく、デジタル最高守備を含む)を選択できるのどっちが持っているアドバンテージは予想以上に大きい。
卓についた段階で、以降何もしなければ、最も勝つ可能性が高いのは原村和なのだから。
このアドバンテージを覆すには、「能力というチートで対抗」するしかない。
そうして初めて他のプレイヤーが勝ちうるのだろう。
「最高の期待値」を持つ以上、のどっちこそが王道だ。
わざわざそれを崩して、他のプレイヤーの打ち筋に対応する必要はない。
「能力をもって対応」しなければならないのは、のどっちほどの高みにたどり着いていない他のプレイヤーなのだから。