2012年06月28日

「ここから先は……、皆がくれた一巡先や」にまつわる演出及びカメラワークの凄さとその意図について

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「ここから先は……、皆がくれた一順先や。みんなごめん……もう一回だけ無茶するわ」

 阿知賀編屈指の名シーン。
 ここで竜華の叫びと怜の決意に涙した人も多いはず。(私もだ!)


 だが、実はこの一連の台詞及び演出はアニメオリジナルで、漫画版には無い。
 (来月号に掲載されるかもしれないけれど)


 では、アニメスタッフはどうしてこのセリフを入れたのか?
 そして、そこにどのような思いを込めたのか?



 インターハイという特別な空間

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 「けど、そうなるんがインハイなんちゃうか」

 合宿の夜、竜華はセーラが「申し訳のうて、悲しうて、くやしゅうて、あかんかった」エピソードを告げた。
 「らしないわ」と言っていた怜だったが、飛行機の上から街の光を見てセーラの気持ちがわかり、現実のインハイで照に点差を広げられつつある中で、その気持が自分にもあることを知った。


 この直後、怜は三巡先に挑戦する。
 命に危険があるかもしれないのを顧みず。
 医者に無茶を止められているにもかかわらず。


 光というキーワードによる瞳の演出

 これに至る心理は、瞳と光というキーワードで演出面からも描写されている。

 怜が地元の光を機上から眺めるシーンと、怜の能力発動シーンのカットを比較していただきたい。


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 上の青い瞳は機上から街を見下ろした時のもの。
 下の緑の瞳は三巡先に挑戦した時のもの。

 片方は止まり、片方は動いているが、両者とも目の中に無数の光がある。
 これは偶然ではない。


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 上は、瞳の中を青い街の光が流れ来る演出。(力をもらった時)
 下は、瞳の中を能力発動の光が流れ来る演出。(力を発揮する時)

 
 以上二つの演出が重ねられていることで、二つはニアリーイコールとして表現されている。
 実際、「期待、応援、支援(街の灯り)」は怜の力となり、結果として能力発動という形で現れたのだから。

 つまりこれらの小さな光一つ一つは、街の光の暗喩であり、応援の声であり、それが怜の瞳に映っているということであり、怜の力そのものなのだ。
 (余談。レイプ目というテンプレ表現に隠されてしまったが、怜が能力を喪失している時、目から光が完全に失われているのは、この逆。力が全く発揮できないことを示している)


 ここで「怜の三巡先への挑戦」の意図が確定する。
 死に至るかもしれない無茶(アニメ第五話冒頭で「医者に無茶を止められている」との説明がある。今思うとあのアニメオリジナルはここに繋げたかったことがわかる)をするのは、「応援してくれている皆(街の光に象徴される地元の期待と、怜シフトでサポートしてくれているチームメイト)」への精一杯の恩返しなのだ。


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 これは第五話における、三尋木プロによる紹介時のカットである。
 改めてこの画像を見ると違った風に見えてこないだろうか。
 宇宙と思われていた後ろの青黒い背景と光が、実は街の光を意識したものだったのではと。(第五話を見直して貰えれば、緑の光線と同時に、白い光も怜の背後から流れてくる演出になっているのがわかる)

 文字通り、怜が背負っている「背景」は、千里山を応援してくれている人々の声であり、チームメイトの期待を表現したものなのだ。


 カメラワークによる照明の強調

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 怜の能力と光の演出はさておき、今度はカメラワークの意図について。
 実は三巡先に挑戦するシーンのカメラワークでも、怜の心理の推移が表現されている。

 街の灯を思い出した後、一瞬の気絶から戻ってきた時、見ていたのは天井の照明。

 これがどうしたの、と思うかもしれない。
 だが、これが意味的には凄く大きいのである。
 何しろ、怜の中で、天井の照明と街の灯りが関連付けられることになったのだから。


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 三巡先に挑戦する時のカットだ。
 カメラが天井の照明に向けられ、そこから下に降りる形で怜の後ろ姿を写している。

 このカメラワークによって照明と怜を同一の画面に納めることで、怜の頭の中には照明=街の灯りを思い出していることが暗示されている。(応援してくれる人がいるのだから、全力で応えたいと考えているのがわかる)


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 さらに、今まで自分の内側から発動していた未来視能力が、この時だけは照明から全体に広がる表現にされている。(当然、照明=街の光が力の源というストレートな表現)


 はっきり言って、細かすぎるし、普通こんなところまで追って見ない(意図や文脈を読まない)。
 だが、これらの演出およびカメラワークのこだわりは、ホント見事と言わざるをえない。


 この解釈を聞いた怜の反応

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「……何言うてんの」


 ……少しは勘違いに浸らせてー!
 (とは言え、55%くらいの確率で本当に意図されて重ねられたものだと思う。でなければ、「皆がくれた一巡先や」という台詞を選ばないと思うし、一連の重ねをしないと思うから。でも偶然重なっただけの可能性もあるんだよね……ぶつぶつ)


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 関連記事:園城寺怜の能力はもっと生きたいという願いから生まれた
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posted by 真鯛 at 21:59 | Comment(5) | 阿知賀編(考察) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 ちなみに、こういう意図のある演出が本気で物凄いのが今季アニメの「さんかれあ」。
 一つ一つの演出が細かく解説できるレベルで丁寧に作られていて、専用ブログを作って解説したいくらいなんだけど……。時間が……。
 
Posted by 管理人 at 2012年06月28日 22:59
こういう演出がわかるっていいですねー
自分もこんな風に考えられたらもっと楽しめるのになぁw
Posted by at 2012年06月28日 23:31
色々な作品でこっそり使われています。
先述しましたが、「さんかれあ」の表現は丁寧かつ凄いですね。
Posted by 管理人 at 2012年06月28日 23:55
この考察凄いですね!
納得させられましたし読んでて涙が出そうになりました。
Posted by at 2016年03月26日 09:47
これだけ良く見て、そしてそれを広めてくれる人がいるのならきっと、制作者が注いだ情熱も報われるというもの
読んでいて本編を思い出して涙が出るくらい素敵な記事でした
Posted by もこ at 2019年06月27日 23:50
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