百合百合探検隊(久&美穂子)の記事を書いていた時に感じた。
踏切という若干「危険で怖い」イメージの場所を「親密な二人」の背景に使うのは独特だなあ……と。
そういえば、踏切ってシノハユのカラーシーンにあったような。
やっぱりあった。
でも、どうしてこのラストシーンで「踏切」を背景にしたのかな?
もしかして、「踏切」には何かしらの暗喩が込められている?
それとも、単純に「踏切」が好きだから?
この着想が、この記事の種。
というわけで!
踏切が描かれている表紙を抜き出してみた。
見つかるのは2つ。
本編の2巻と、阿知賀編の6巻。
全話の全ページを調査しなおしたわけじゃないのでなんともいえないんだけれど、現時点で見つかる4例の「踏切」はすべて二人組が登場し、しかもその「二人」の親密度は妙に高い。
・本編2巻表紙:和と咲
・阿知賀編6巻表紙:淡と照
・シノハユカラー:慕と閑無
・本編8巻作中:久と美穂子
どれも、公式に押されてるんじゃと思われるくらいの組み合わせばかりだ。
と……なると、やっぱり、「踏切」には「一線を超える/超えない」の暗喩でも含まれているんじゃないかと思ってしまう。(ただし、踏切という暗喩が「一線」だとして、それを超えた感じで描かれているのは、「久と美穂子」と「和と咲」だけ。淡と照の組み合わせは、照がいるところに淡がやってきた感じ。慕と閑無は踏切のそばを二人が歩いている感じ)
もちろん、ここらに意味はなく、単純に踏切が好きなだけかもしれない。
最初に和と咲で踏切を描いたのを心の奥底で覚えていて、「踏切=親密な二人」というイメージが残って、以降踏切を書くときに、自然と親密な二人のチョイスをし続けたのかもしれない。
真相は不明だけれど、現象としては面白い。
後、表紙でいうなら、「坂(階段)」とか「水辺」、「橋」とかが多めに使われている気がするんだけれど、何かしらの統一された法則とかあるのかなあ……。
追記。
背景や場所に何かしらの暗喩を仕込む手法は、いろいろな作品で結構使われている。
一番有名なのは、「天候」。
主人公の心が曇るときは曇り、悲しんでいる時は雨。
黄昏れる時は夕方で、頑張った時は太陽が輝いている。
すべてが終わって新しい世界になった時は、きれいな朝日が登る。
場所だと、電車のホームとかが、恋愛もので使われているのを見かける。
別のホームで線路を挟んで向かいあう二人というシチュエーションは、「行き先の違う電車に乗る」というイメージから、「すれ違い」や「意見対立」のシーンで採用されることが多い。(線路を挟んだホームで言い合うこともできず、顔を合わせていてもそのすれ違いが続くというのがなんともまた……)
全部が全部仕込まれているわけはないのだけれど、実際そういうケースもあるってことで。
【ハズレ分析の最新記事】
これってさ、境界ってことで考えると、踏み切りの場合は全部同じ側にいるから親密ってことなのかな?
逆に「境界」を堺に別々の側に何人かづついるみたいな構図ないのかな?
そんなことを観察するともう少し見えるかもしれませんね。
なるほど!
確かに、すべて「境界」ですね。
これは素敵な気付き。
それで少し表紙などを見なおしてみます。
通りすがりのヤクサムさま
「境界」の同じ側……ですか! なるほど。
別作品(何とは挙げられないのですが)でも、主人公ともう一人が違う場所にいるという構図で使われているのを時々見ます。
……あ、思い出しました。
ベルセルクのガッツとグリフィスが「階段の上と下」にいる構図ですね。
別々の側に何人かいる構図は、どこかの扉絵に……ですが、豊音がぽつんと通常なら入れないところで立っているのは見かけた記憶が。
これに関してもゆっくり調べてみますね。